「自分には棚ぼたのようなラッキーはない」山あり谷ありの人生を受け入れてインナービューティーのスペシャリストに

「自分には“棚ぼた”のようなラッキーはない」
山あり谷ありの人生を受け入れて
インナービューティーのスペシャリストに


「食を通じて世の中を元気に健康にしたい」と、YouTubeを中心に、レシピと役立つ栄養の情報を発信している関口絢子さんは、主婦から料理教室の講師となり、出版社での編集・広告営業を経て、起業。30代から40代にかけて本格的に料理を学び直し、アメリカの栄養カウンセラーや管理栄養士の資格も取得したという努力家です。

「ずっと険しい山を登り続けているような人生なんです」。
華やかな雰囲気をまとう関口さんですが、その人生はまさに山あり谷あり。エピソードは、驚きの連続でした。

30代、40代、50代と、年代によって押し寄せる、さまざまな悩み、不調。
それらはすべて「何かを気づかせてくれるきっかけ」だと関口さんは言います。
倒れても、倒れても、立ち上がり、次の目標に向かって歩みを止めない関口さんの生き方は、私たちに大きな勇気を与えてくれます。

*記事の最後に「私を元気にしてくれた思い出の一品」牡蠣のチャウダーの作り方も特別公開!


関口絢子(せきぐち・あやこ) 料理研究家・管理栄養士・インナービューティースペシャリスト

関口絢子(せきぐち・あやこ)

料理研究家・管理栄養士・インナービューティースペシャリスト。川村学園短期大学食物学科卒業。米国AHCN大学 学士課程修了。ホリスティック栄養学を学ぶ。ル・コルドン・ブルー東京校フランス料理中級コース終了。米国栄養カウンセラー、ヘルスケアプランナー、抗加齢指導士(日本抗加齢医学会 認定)などの資格も持つ。エビデンスに裏付けされた、美と健康に関するお悩み解消レシピが人気。

https://www.youtube.com/@WELLNESS..KITCHEN


25歳の時に書いた「人生のバイブル」


ここに、7枚の古いメモがあります。

これは20代の頃に出会った実業家の方に教えていただいて、当時書きためた「人生のバイブル」。人生にもがいていた頃に、いつかこうなりたいとか、こんなことがしてみたいとか、何が欲しいとか、成功に向けて何ができるのかを、いろいろとメモして、手帳に挟んでいたものです。40歳くらいまでの目標や描いていた理想のようなものを書き連ね、落ち込んだり挫折しそうになったりした時には、このバイブルを見るようにしていました。
 

40代になって、バイブルを見返したとき、本を出版したり、メディアに出させていただいたりと、一通り料理家としての仕事ができるようになったという意味では、目標とした夢は実現したのかな…と思います。

でも、まだまだ本当の達成感があるわけではない。50代になった今でも、ここがゴールではないな、という思いはずっとあります。


人生のターニングポイント


24歳で結婚した私は、本当に普通の専業主婦でした。子どもが生まれ、これが幸せなのだろうと思いながら、何か足踏みをしているような感覚になって、理想と現実の狭間で苦しんでいました。そんなとき、29歳で、大手の料理教室での講師の仕事を始めました。時給も安く、激務でしたが、水を得た魚になったような気がしました。そこから自分の夢がパーッと広がって、「もっとこうなりたい!」というスタート地点に立てたのです。

料理家として順調に階段を上ったように誤解されがちなのですが、そもそも、私には本当に何もありませんでした。飽きっぽいし、何にもモノにならない。そういう劣等感がずっとありました。
料理教室での仕事に出合ってのめり込んだとき、もうこの世界だけは、どんなことがあっても諦めないでやろう!と心に決めました。まずは、「自分の料理教室を自宅で開きたい」という小さな夢を叶える。そのために、料理教室のノウハウを学ぼうと懸命に取り組みました。


人生のターニングポイント

30代は修行の時代。出版・広告の世界へ


料理家になるためには、本を出版しなければ。
そう思った私は、突然出版社に電話をしました。思えば大胆なことをしたものです。でも、そこで電話に出た男性が、とても親切な方で、「料理の本をやりたいんだったら、有名な先生のアシスタントに入るとか、スタイリングや編集など、裏方の仕事にも関わってみるなどの方法もありますよ」と、いくつかヒントを教えてくださったんです。

そこで、フリーペーパーを制作している小さな出版社で、広告営業と編集の仕事に就くことにしました。食品メーカーの広告も扱っていたので、何か携わっているうちに、道が開けるんじゃないかと、潜り込んだような形でした。まずは営業からのスタートです。さまざまな会社に電話をして、広告費を引っ張ってくる。目の前のことに集中していたら、気づいたら営業成績はトップに。編集長にも抜擢されて、小さな雑誌ではありましたが、本を作るための知識をそこで学ぶことができました。このノウハウを生かして、出版社に企画を持ち込み、自分の本を出すという夢を叶えて、仕事も独立し、会社をつくりました。

一方で、仕事と子育ての両立は、やっぱり大変でした。料理教室で働きはじめた頃はまだ子どもも小さく、はじめは保育園にも預けられなかったので、民間の託児所を利用したり、あとは連れていきました。出張先にも子連れです。無理なことをよくやったな、と思いますが、とにかく無我夢中。若さがありました。30代は、修行の時代という感じです。


無理がたたって、ストレス疾患に


30代の半ばで、心身のバランスを崩してしまい、ひどい体調不良に陥ってしまいました。病院にかかっても、抗うつ剤と睡眠導入剤をもらうだけ。これは私が求めているものじゃない、自分の体は自分で、食べるものを見直して守らなければ、ということに気づかされて、玄米菜食を中心に、腸を整える食事に切り替えました。2週間ほどすると、モヤモヤしたものが吹き飛んで、体もすっきりしてきたのです。この経験が、また次の本の出版にもつながりました。

フランス料理の学校「ル・コルドン・ブルー」に通ったのも、その頃です。
ル・コルドン・ブルーは、出版社時代に、一度広告の仕事でお付き合いがありました。それまでは授業料も高額ですし、手が届かない存在だと思っていたのですが、逆に言えば「お金を貯めればいつか行ける」と思えるようになって、実際にお金を貯め、通ったときには、「やっと行けた!」という喜びでいっぱいでした。


無理がたたって、ストレス疾患に

「自分には無理だ」という気持ちを何かのきっかけで変えると、ちゃんと叶うものです。そういう小さな体験をいくつか繰り返してきました。その後も米国栄養カウンセラーの資格を取得し、管理栄養士の資格に挑戦したのは40代に入ってからでした。


50代に押し寄せた大きなピンチ


40代は思い切り頑張って、駆け抜けていった感じです。ところが50代に入ったばかりのころ、なぜかピタリと、凪のように仕事がなくなってしまう状況が訪れました。
「もう私は世の中に必要とされていないんじゃないか」とずいぶん落ち込みました。お金もどんどんなくなり、騙されたりもして、本当にどん底の気分でした。
でもそれは、再び自分の人生を見つめ直すきっかけでした。依頼される仕事はいつか絶える時がくる。自分自身で仕事を作らなければ…と、新しいビジネスを立ち上げる準備をしたのです。何度か失敗もしましたが、オリジナルメソッドを作って、自分で回していけるようになると、負のスパイラルは断ち切れて、また好転をはじめました。

コロナ禍をきっかけにはじめたYouTubeも軌道に乗り、ようやくこれで大丈夫かな、と思ったとき…、ふたたび体調不良に。実は、つい最近のことです。

婦人科で診てもらっても、今一つ原因がはっきりしません。ストレスや、いろんな要因があったのだと思います。同世代の友人とも、「なんか50代って疲れるよね、思うように頑張れないね」とよく話していました。更年期、年齢的なものなのかな…とやり過ごすつもりが、もう本当に何にもやる気が起きなくなってしまって、さらにひどい状態に。
もうこれは思い切って、いったん全部を手放そう、と決めました。

仕事もYouTubeも全部お休みして、数ヶ月、旅行に行くなど、ゆるゆると過ごしました。そのときに新型コロナウイルスに罹患してしまったのですが、これが完治すると、一気に雲が晴れ渡ったような気持ちになりました。全部、台風一過のように、体調もよくなり、不思議と心のモヤモヤもすっきりなくなってしまったのです。この経験から、思うように動けない人の苦しみ、辛さを思い知りました。バイタリティの大切さを痛感して、また新たな学びを得たと思います。


50代に押し寄せた大きなピンチ

今、はまっているのは「自分改革」


今、私が一番はまっていることは、「自分改革」。厚い雲から抜け出したら、嘘のようにパワーが湧いてきました。新しい勉強がしたいとか、あの人の話を聞いてみたいとか、とにかくいろんなことをやりたくて仕方がない。晴天の中に飛び立った自分にはもう限りがない、そんな感じなのです。

私は、「棚からぼた餅」的なラッキー運は持ち合わせていないようで、資金もなければ、育児では親の支援もなかった。何かをしたくても、八方塞がりのような環境からのスタートでした。他人を羨ましいと感じたことはもちろんありますが、私の星は、ぼた餅は落ちてこない人生か…と、何度も落胆して諦めたので(笑)、もう自分で掴みにいくしかない。そういうたくましい気持ちになっています。

自分でいくつも山を乗り越えて、一段ずつ階段を上り続けている私の人生。
自分を切り開くためのマインドセットが、25歳のバイブルから始まって、成長を続けていると思います。私が基本としている「食」というもの、元気の源をそこに組み合わせて、これからの100年時代、第二の人生を迎える人たちを勇気づけること、その人たちの背中を押せるような活動に、これからは取り組んでいきたいと考えています。

「自分に何が向いてるか」なんて、考えているだけでは、絶対に答えは出ません。なにか楽しそうだなと思ったら、自分から飛び込んでみること。別にそこで何者にもならなくてもいいし、ダメならやめてもいい。とにかくまずは行動してみるということが、次の世界を開くきっかけになると思います。そこから、友達ができたり、情報が増えるなど、何かが広がります。それは必ず自分の次のステージで、自身への影響力になっていくと思うのです。

ワクワクドキドキする日常を、自分で作る。挑戦するときに感じる不安や小さなストレスも、過度でなければ、ある意味自分を活性化させてくれるはずです。


私を元気にしてくれた思い出の一品


私を元気にしてくれた思い出の一品

30代半ばにストレスで体調を崩してしまったとき、豆腐懐石の宿で、体に優しい食事をいただく機会があり、「食べ物で体は本当に変わるんだ」と実感。それが本格的に食材の栄養素を研究するきっかけになりました。牡蠣と大豆製品は、女性のホルモンバランスにとても重要な栄養素。この牡蠣のチャウダーは、私を元気にしてくれた思い出の一品です。今も、少し疲れたなと感じたら、作るようにしています。

牡蠣のチャウダー(約4人分)

〈材料〉
牡蠣 小ざる1杯分
にんじん 1/2本
じゃがいも 大1個
玉ねぎ 1/2個
コンソメキューブ 1個
水 適量
豆乳 200mL
片栗粉 適量
塩・こしょう 適量

〈作り方〉
1. 野菜は一口大の大きさに切る。牡蠣は洗い、水けを拭き取ったら片栗粉をまぶしておく。
2. 鍋に野菜を入れ、ひたひたの水(水からほんの少し材料が出るくらい)、コンソメを入れて、柔らかくなるまで煮る。
3. 豆乳を加え、軽く沸騰したところに牡蠣を入れる。
4. 全体に火が入りとろみがついたら塩・こしょうで味を調えてでき上がり。


取材・文/山野井春絵 写真/後藤渉