元NHKのアナウンサー内多勝康さんは、現在「医療的ケア児」と家族を受け入れる医療型短期入所施設「もみじの家」(国立成育医療研究センター内)のハウスマネージャーとして活躍しています。
NHK時代に取材で「障害福祉」というテーマに出合ったことから、「定年まで勤め続けると思っていた」NHKを退職し、53歳で福祉と医療の現場へ。畑違いの仕事への転職は、一筋縄ではいかなかったといいます。
内多 勝康(うちだ・かつやす Katsuyasu Uchida)
1963年東京都生まれ。東京大学教育学部を卒業後、アナウンサーとしてNHKに入局。2016年3月に退職し、同年4月より国立成育医療研究センター「もみじの家」ハウスマネージャーに就任。著書に『「医療的ケア」の必要な子どもたち 第二の人生を歩む元NHKアナウンサーの奮闘記』(ミネルヴァ書房)、『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』(新潮社)など。
施設を切り盛りしながら、マスコミで培ったノウハウをいかして医療的ケアの問題に取り組む毎日。「仕事は自分の存在そのもの」と言う内多さんは、現在60歳。人生の後半戦で見出した日々の喜び、楽しみについて伺いました。
僕は50代でこんなふうに転職をしましたが、皆さんに「転職をした方がいいよ」なんて勧めるつもりはありません。同じ職場で勤め上げるというのも、素晴らしい人生だと思います。そういう前提で、お話をさせていただきます。
僕は実家が貧しかったので、子どもの頃から「安定した生活を送りたい」と考えていました。大学を卒業して入局したNHKも、もちろん最後まで勤め上げるつもりでした。ドキュメンタリーを作りたいとディレクター志望だったのですが、なぜか採用されたのはアナウンサー。東京、大阪、高松、名古屋、仙台で勤務しました。
2013年のことです。『クローズアップ現代』という番組で代行キャスターを任された時、テーマとして「医療的ケア児」を取り上げました。
「医療的ケア児」とは、NICU等に長期入院した後、引き続き人工呼吸器や胃ろう等を使用し、たんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが日常的に必要な児童のことをいいます。
取材では、子どもたちのお母さんに集まってもらい、話を聞きました。「一日に一回は死にたいと思う」と吐露したお母さんもいます。次から次へと、本当に信じられないような言葉が出てきて、同じ日本に住んでいながら、こんな思いをして暮らしている人がいる、その事実に驚きました。
当時、「医療的ケア児」についてはほとんど報道されておらず、社会はまだまだこの問題に苦しんでいる人たちを支えられていない状況でした。これは広く知られるべきだと意欲的に取り組んだ企画が、後に現在の仕事につながっていったのです。
50歳を越えると、NHKでの僕の立ち位置は、いわゆる「先が見える状況」になっていました。興味のあるテーマで番組を制作できる可能性が、かなり小さくなってしまったのです。それでも、局を辞めようとは思っていませんでした。時々は文句を言いつつも、安定した生活を確保しながら生きていくんだろうな、と思っていたのです。
そんな時、「もみじの家」のハウスマネージャーをやらないかという話が降って湧いてきました。もう一度、仕事の中にやりがいを感じられる可能性が見えたのです。
僕が好きな言葉に、「ソーシャルアクション」というものがあります。支援が必要な人に対して制度やサービスを結びつける「ソーシャルワーカー」という仕事がありますが、ソーシャルワーカーがいたとしても、都合よく必要な制度やサービスがあるわけではありません。そういう場合は、自ら世論や行政に働きかけて、自分で作りなさい、と。これを、僕は「社会福祉士」という資格を取得する時に学び、なんてかっこいいんだろう、と思いました。
医療的ケア児と家族が安心して暮らせる社会をつくるために、新しい支援の仕組みを研究開発して全国に広める。こうした「もみじの家」のミッションを聞いた時に、まさにこれはソーシャルアクションだと思いました。
最近、当時のことを振り返ると、「宝くじに当たったようなものだったな」と思います。様々なタイミングが、パズルがはまるように合致していったのです。
もしこれが、『クローズアップ現代』など大きな番組の担当をしている時だったら、絶対にその道へは行かなかったでしょう。また、住宅ローンがまだたくさん残っているとか、子どもが小さいとか、家族が反対するとか……何か1つでも理由があれば、おそらく断っていた。ちょうど勤続30年という節目でもありましたし、不思議なくらいベストなタイミングでした。「年齢的にも最後のチャンス」。そんな言葉も後押しになりました。
つまり、「もみじの家」というおいしそうなにんじんが目の前にぶらさがった時、パクッといったわけです。食べてみたら、これが思ったほど甘くなかったのですが……(笑)。
ハウスマネージャーの仕事には、事業に関わる計画立案やマネジメント・広報・寄付や補助金の呼びかけという3つの柱があります。つまり、事務仕事が主なのですが、これが僕にとっては大きなハードルでした。
アナウンサーとしては、ワードだけでなんとかなっていたのです。エクセルもパワーポイントもあまり使ったことがなく、資料ひとつ、まともに作れないという状態でしたから、ずいぶんと周りはびっくりしたと思います。さらに、現場で飛び交う医療用語がまったく分かりません。
53歳ですから、新卒の新人のようには叱られませんでしたが、やっぱりしんどかった。口では「新人のつもりで頑張ります」なんて言っていましたけど、自分は役に立たないということをこの年齢になって突きつけられるのは……。
でも、逃げ出すわけにはいかない。僕もNHKを辞め、退路を断ってここへ来ているわけですから。辞めでもしたら、あいつは結局何やっても駄目だという烙印を押されます。任されたからにはこの施設を守りたい。とにかく事務仕事を覚えなければと、1年目は終電で帰ることもしばしばでした。かなり痩せましたね。
よく冗談で言うんですけど、スポーツジムに行ってダイエットするじゃないですか。僕は本当の“事務”でダイエット。面白いでしょ(笑)。
踏ん張りながらも、1年のサイクルを経験すると、大体の流れが見えてきて、前もって準備ができるようになってきました。そのうち、苦手だったPCのスキルも上がっていきました。何よりも「待ち望んでいた施設です」と、「もみじの家」を利用してくれる皆さんからそう言っていただき、喜んでもらえると、本当に嬉しい気持ちになります。僕なんか直接的なケアは何もできないけれど、これが、僕のストレスを軽減してくれました。
さっぱり分からなかった医療用語にもずいぶん慣れました。でも、全部はやっぱり分からない。分かっていたら医者になっています(笑)。初めは何が分かるべきで、何が分からなくてもいいかという区別もつかなかった。ここは最低限分かっておかなければ、という部分を押さえて、専門的な部分はお任せする。そういう勘所が分かるようになりました。
僕はテレビでのスポーツ観戦が大好き。今年は野球から始まってバスケットにラグビー、とても楽しいですね。そんな中、先日「ユニバーサル野球」のイベントを「もみじの家」主催で行ったのです。これが本当におもしろかった!
ユニバーサル野球とは、重い病気や障害のある人でも選手としてプレイできる野球です。バットを固定しているストッパーを1㎝引っ張るだけでボールを打つことができる野球盤で行われます。イベントでは、視力入力装置を使うことで、リモートでのバットスイングを可能にしました。
選手の子どもたちは自宅からリモートで参加し、視力入力やスイッチなど、それぞれが得意な方法でPCを操作して信号を送信します。この信号が両翼5mの巨大な野球盤が設置されたスタジオに届き、感知するとバットがスイングしてボールを打つという仕組みになっているのです。
当日僕は、アナウンサーの経験をいかして実況中継を担当しました。12年ぶりの実況です。試合展開は劇的で、とても盛り上がりました。参加した選手本人達はもちろん、「まさか野球ができるとは思わなかった」と家族がとても喜んでくれました。この試合の様子はYouTubeでもアーカイブで観ることができます。ぜひご覧ください(https://www.youtube.com/watch?v=X23M1ilTZ1M)。
このスキームを使えば、甲子園のように全国大会もできるし、海外戦も可能です。WBCのユニバーサル野球バージョンができるんじゃないかと、仲間達と一緒に盛り上がっています。まさに、境目がない本当の意味で、全ての人が野球を楽しむことができる。ぜひ、日本野球界から世界へこの考えを広めていただきたいし、幅広く支援を募ってこのイベントを発展させていきたいと、60歳になって新しい夢を抱いているところです。
僕の場合は、運よく「もみじの家」に来て、そしてこういうユニバーサル野球のような楽しい企画に携わることができた。自分の熱量が上がる、ものすごく血湧き肉躍る感じを、この年齢になって味わっています。こういう経験ができることは、とても幸せなことです。今は、ここが自分の居場所です。
若いうちは、仕事を頑張ることで、充実度を上げて、ある意味社会の中で “先発陣”に入る。そのままそこを居場所として、順調に歩んでいく人もいるでしょう。でも、先行きが不安定な時、心配な時がやってくることもあります。そういう時には、どこか別に、自分の安定した居場所を求めてもいい。僕は、NHK時代にボランティア活動をしたこともあります。
それが安定した居場所になるのであれば、タイミングを見て、転職してもいい。でも、都合よくそういう話が転がっているわけではないとも思います。今の職場で、別の活路を見出すのでもいい。ボランティアでも、趣味でもいい。きちんと「居場所」を見つけていかないと、しんどい時期が続いてしまうのかなと思います。
「人生100年時代」というのは、あくまでも1つのキーワード。人生何年だろうと、自分が安定できる居場所を見つけていくということが、大切なのだと思います。
取材・文/山野井春絵 写真/後藤渉