医学博士。日本老年学会理事長、日本老年医学会副理事長、日本サルコペニア・フレイル学会代表理事他を務める。専門領域は、老年医学一般、フレイル、サルコペニア、脂質代謝異常。1991年京都大学医学部大学院医学研究科博士課程修了。91年京都大学医学部老年科助手、93~97年米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校研究員。2009年、京都大学大学院医学研究科人間健康科学系専攻教授。15年、国立長寿医療研究センター副院長を経て、19年より現職。
人は誰でも年齢を重ねれば体力や気力が低下し、介護が必要な状態へと坂道を下るように緩やかに衰えていきます。これは生物学的な変化であり、人間も避けることはできません。
「フレイル(虚弱)」とは加齢によって心身が衰え、弱っている状態を指します。この先、けがや病気などを引き金に介護に至るリスクが高いという段階です。介護を必要とせずに自立した生活ができている期間を、生物学的寿命に対して「健康寿命」と言いますが、フレイルは、この健康寿命が終わりに近づいている状態だといえるでしょう。
しかしながら、フレイルになっても適切な心がけで心身をケアしていけば、十分に自立した状態を維持できることが分かっています。体の機能に障害が起きてしまってからでは自立した状態に戻ることが難しいため、早い段階でフレイルに気づき、予防やケアを続けて健康寿命を延ばしていくことが大切なのです。
フレイルの原因には、筋肉の減少や病気による低栄養などが挙げられます。
フレイルの原因として関連するものに、「サルコペニア」や「ロコモティブシンドローム」、「カヘキシア」という概念があります。また、不活発な生活習慣が機能低下をもたらす「生活不活発病」もフレイルにつながります。それぞれの概念がどういう状態を指すのか見ていきましょう。
●生活不活発病(廃用症候群)……人間の筋力は、1週間の絶対安静で10~15%減少するといわれています。過度な安静や体を動かさないことで筋肉が減少したり関節の動きが悪くなってしまい、それによって、さらに不活動になってしまう、という悪循環を指します。
●サルコペニア(筋肉減少症)……加齢に伴って筋肉が衰えた状態のことで、フレイルの最も大きな原因となります。人の筋肉は20代をピークに10年間に男性は約2㎏、女性は約1㎏ずつ減っていくといわれ、80歳以上では男性の約3割、女性の約半数がサルコペニアに該当するという研究※もあります。
※東京都健康長寿医療センター研究所の研究による。
●ロコモティブシンドローム(運動器症候群)……運動器とは、身体運動に関わる骨、筋肉、関節、神経などの総称です。ロコモティブシンドロームは、骨や関節、筋肉などの運動器の衰えによって「立つ」「歩く」といった移動するための機能が低下し、日常生活に影響が出つつある、あるいはすでに出ている状態のことです。50歳前後からは男女共に骨ももろくなり始めます。
●カヘキシア(悪液質)……がんなどの体の消耗を来す慢性疾患によって低栄養の状態に陥り、体重や骨格筋量の低下が進むことをいいます。
低栄養の兆候と3年間の要介護の発生率を調べた研究では、半年以内に2~3kg以上体重減少した場合、またはBMI 18.5(kg/㎡)のいずれかに当てはまると、3年以内に要介護になるリスクが1.7倍※になることが報告されています。
※(Kinoshita K, et al. Geriatr Gerontol Int. 2020:20(7): 731-732.)
オーラルフレイルとは、口腔機能が衰える状態のことです。
オーラルフレイルは口腔内や歯への健康意識が低下して、歯周病などになり、硬いものがかめない、食べこぼす、食事中にむせる、滑舌(かつぜつ)が悪くなる、口臭があるなど、“些細な衰え”を感じるところから始まります。
このような些細な衰えを放置してしまうと、そのうちに食欲が低下したり、食べる食品が偏ったりしてしまいます。この状態が長く続くと、低栄養やサルコペニア、フレイルのリスクが高まり、最終的には食べる機能に障害が出るようになるのです。
この一連の過程のことをオーラルフレイル といいます。オーラルフレイルは全身のフレイルの原因になるため、口周りに対する健康意識をもち、予防していくことが大切です。
フレイルは、これまで見てきたような「身体的フレイル」の原因の他に、認知機能の低下や意欲・判断力の低下、抑うつなどの「精神的フレイル」、閉じこもりがちになって社会交流の機会が減る「社会的フレイル」の3つが相互に影響し合っています。
例えばフレイルになりやすい低栄養は、オーラルフレイルなどの身体的フレイルが原因になる他、抑うつなどの精神的フレイル、孤食による食欲減退といった社会的フレイルも原因になります。このようにフレイルは、いくつもの要因が相互に影響を及ぼしながら進行していきますので身体の変化だけでなく、精神的、社会的な側面からも注意していくことが大切なのです。
フレイルかどうかを判断する世界的な基準はまだありませんが、アメリカのリンダ・フリード氏が提唱した「CHS基準」を元に、国立研究開発法人 国立長寿医療研究センターが2020年に改訂した以下の「日本版フレイル基準(改訂 J-CHS基準)」が、身体的フレイルの代表的な診断法として位置づけられています。
●日本版フレイル基準(改訂 J-CHS基準)
項目 |
評価基準 |
体重減少 |
6カ月で2kg以上の(意図しない)体重減少 |
筋力低下 |
握力:男性<28kg、女性<18kg |
疲労感 |
(ここ2週間)わけもなく疲れたような感じがする |
歩行速度 |
通常歩行速度<1.0m/秒 |
身体活動 |
①軽い運動・体操をしていますか? ②定期的な運動・スポーツをしていますか? 上記の2つのいずれも「週に1回もしていない」と回答 |
<判定方法>
・健常高齢者:いずれも該当しない
・プレフレイル(フレイル予備軍):上記の項目の1つまたは2つに該当する
・フレイル:上記項目の3つ以上に該当する
(Satake S, et al. Geriatr Gerontol Int. 2020: 20(10): 992-993. )
また、厚生労働省は75歳以上を対象にした後期高齢者健診で、フレイルの兆候がないかどうかを確認する「後期高齢者の質問票」を導入しています。これはフレイルを早期に発見し、改善や予防に役立てるためのものですが、後期高齢者でなくても、フレイルが気になった人がセルフチェックをするのにも有効なので、「フレイル注意度チェック」として掲載しています。ぜひセルフチェックしてみましょう。
さらに、「サルコペニア」の症状がないかどうか簡単に知ることのできる「指輪っかテスト」と「開眼立脚位テスト」や、「ロコモティブシンドローム」の症状がないかどうかをチェックできる「立ち上がりテスト」「2ステップテスト」「ロコモ25」も、フレイルのチェックに有効です。
フレイルの中心的な病態は、栄養が足りない「低栄養」と、筋肉が減る「サルコペニア」です。この2つがあると、次のような「フレイルサイクル(フレイルの悪循環)」に陥りやすくなります。
このフレイルサイクルを断ち切るためにまず行いたいのは、栄養を摂る前提となるオーラルフレイル対策、そして、食事と運動による対策です。以下のような効率的な対策を始めましょう。
口周りが衰えてよくかめないことは、低栄養につながるだけではありません。歯周病は糖尿病、動脈硬化などの全身疾患を引き起こすことが分かっており、また嚥下(えんげ)機能が衰えて、むせたりすることで誤嚥性肺炎などを引き起こしやすくなります。
次の5つのセルフケアを行うと同時に、歯科のかかりつけ医をもち、半年に一度は受診してチェックしましょう。歯が痛くなくても定期的に歯科を受診することが大切です。また、1本でも抜けた歯があるとかみ合わせが崩れ、次々と歯を失うリスクになります。歯が抜けてしまった場合は1本でも放置せずに、義歯や入れ歯で補助しましょう。
(1)歯磨き(1日2回以上)
1日2回以上行い、力を入れずに磨きます。磨き残しをしない磨き方は歯周病(歯肉炎・歯周炎)の対策のページも参考に。
(2)入れ歯の手入れ(歯磨きと一緒に)
食後に歯ブラシ等で入れ歯全体を磨きます。特に金具の部分は丁寧に。なお、毎回安定剤をつけないと入れ歯が外れてしまう場合は、サイズや形が合っていない可能性が高いので歯科で調整しましょう。
(3)舌のケア(多くても1日1回)
口を湿らせるためにうがいをしてから、軟らかい歯ブラシや舌ブラシ、またはガーゼで舌の奥から手前に向かって優しくこすります。口臭がない人は特にケアする必要はありません。
(4)うがい(毎食後)
口の中をきれいにする目的以外に、口の周りの筋肉運動としても効果があります。水や洗口剤等を口に含み、口を閉じたまま頬を力強く動かしましょう。
(5)口の体操(朝晩)
オーラルフレイルを予防する簡単な体操で口腔機能の低下を防ぎましょう。鏡を見ながら、一つひとつの動作をゆっくり行うと効果的です。
●オーラルフレイルを予防する、口の体操
唇を前に突き出して「うー」と5秒間発音し、唇を横に引いて「いー」と5秒間発音する。
●オーラルフレイルを予防する、舌の体操
舌を出す体操。下→上→右→左の順に出す。
●オーラルフレイルを予防する、パタカラ体操
「パ・パ・パ」「タ・タ・タ」「カ・カ・カ」「ラ・ラ・ラ」を繰り返して発音。スピードを速くしたり、遅くしたり変化をつける。
低栄養とサルコペニアを防ぐために、特に必要な栄養素はタンパク質です。他にも、不足するとフレイルのリスクが高まってしまう栄養素があるので、以下を参考に積極的に摂るようにしましょう。
(1)自分の体重(kg)当たり1g/日以上のタンパク質を3食に分けて摂る
筋肉は、食事から摂った栄養素(タンパク質やアミノ酸)と運動の刺激などによってつくられます。しかし、加齢と共に筋肉はつくられにくくなるため、体重(kg)当たり1g/日以上のタンパク質が必要です。例えば、体重50㎏の人は、1日50g以上のタンパク質を摂りましょう。また、タンパク質は朝・昼・夕の3食で均等に食べたほうが筋肉の合成率が上がるので、フレイル対策に毎食タンパク質を意識して摂るようにしましょう。
フレイル対策には食事と運動のタイミングも大切です。筋肉の合成量は運動の1~2時間後に最も高くなり、運動後1時間以内にタンパク質を摂ることで筋肉がつくられやすくなります。食事の前に筋肉をつくる「レジスタンス運動(下記参照)」を行うのがおすすめです。
(2)不足するとフレイルのリスクが高まる栄養素を積極的に摂る
高齢者の食事を調査したイタリアの研究では、下の表に示す5つの栄養素が不足するとフレイルのリスクが高まることが報告されています。先述したタンパク質をはじめとして、意識して摂るようにしましょう。
●不足するとフレイルのリスクが高まる5つの栄養素
(3)サプリメントや栄養補助食品も活用して栄養素を摂取
体に必要な必須アミノ酸の中でも「ロイシン」はバリン・イソロイシンと共にBCAAと呼ばれ、筋肉の合成にとって重要な働きがあります。ロイシンから体内で合成される「HMB」という成分は、筋肉をつくる能力が高いことが分かっていますが、体内で合成できるのはごく少量なので、フレイル対策にHMBをサプリメントで補給するのが有効です。
また、食が細くてやせ気味の人は、ゼリー飲料などの栄養補助食品も活用してみましょう。エネルギーが180kcal以上で、タンパク質が10g前後含まれているものがおすすめです。その他、スキムミルクやきな粉などをヨーグルトなどに混ぜることでも簡単にタンパク質を増量できます。上手に取り入れて小食でも効率よく栄養を補給し、フレイル対策をしましょう。
私たちの体の筋肉は、全身の約60~70%の量を下半身の筋肉が占めています。フレイルの最大の原因であるサルコペニアの改善には、下半身の筋肉に負荷をかける動きを繰り返し行う「レジスタンス運動」を中心に筋肉量を増やしましょう。簡単にできる運動をご紹介します。
運動を行う際は、転倒しないように必ずつかまるものがある安全な場所で、十分なストレッチをしてから行ってください。また、回数は目安です。無理のない範囲で行ってください。動作中は息を止めず、足の筋肉にしっかり力が入っているか確認しながらゆっくり行いましょう。
(1)いすに座って行う運動でフレイル対策
※転倒防止のため、キャスターなどのついていない動かないいすを使用してください。
●もも上げ運動
片足ずつゆっくり、ももを上げてゆっくり下ろす。(両足を交互に行う)
●立ち座り運動
ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと座る。
(2)立って行う運動でフレイル対策
※転倒防止のため、頑丈なテーブルなど安全な支えにつかまりながら行ってください。
●つま先立ち運動
テーブルなど安全なものにつかまりながら、足を骨盤の幅に開いて安定した姿勢をとる。両足のかかとをゆっくり上げて、ゆっくり下ろす。
●片足立ち運動
テーブルなど安全なものにつかまりながら、床につかない程度に少しだけ片足を上げて30~60秒を目安に静止する。両足行う。(転倒防止のため、足を高く上げないこと)
(3)寝て行う運動でフレイル対策
●お尻上げ運動
※周囲の安全を確認して行いましょう。
仰向けで寝て両方の膝を立てる。お尻をゆっくり上げ、ゆっくり下ろす。
ご自身の体調に合わせて、無理なく行いましょう。
今まで「年だから仕方がない」と思われていた、移動する能力(立ち上がり、歩くといった一連の動作のこと)や脳の機能の衰えなど、寿命に影響する老化の4分の3は、「生活習慣」などが原因になっていることが分かってきています※。特に以下の6つを心がけて生活習慣を変え、健康寿命を延ばしましょう。
※(日本老年医学会監修 . Total Nutrition TherapyTM Geriatric. Ver.2.1. 2017.: 3 18)
(1)活動的で規則正しい生活をすること
(2)バランスのよい食事を摂ること
(3)定期的な運動をすること(散歩、体操、筋トレなど)
(4)社会活動に参加すること
(5)薬に頼り過ぎないこと
(6)かかりつけ医をもつこと
健康寿命を延ばすための身近な目標として、厚生労働省は「+10(プラステン):今より10分多く体を動かそう」を推奨しています。特別な運動でなくても、例えば以下のような家事などの日常生活を含めて、今よりプラス10分、体を動かしてみましょう。
●いつもより遠くのスーパーまで歩いて買い物に行く
●エレベーターやエスカレーターではなく階段を使う
●歩幅を広くして、早く歩く
●掃除や洗濯はキビキビと。家事の合間にストレッチ
●近所の公園や運動施設を利用する
●地域のスポーツイベント、ボランティアに参加する
●休日には家族や友人と外出を楽しむ
フレイルの予防には、体の健康だけでなく、心の健康、そして人とのつながりを保つことが大切です。厚生労働省は、週に1回以上外出していないことを「閉じこもり」の目安にしており、活動が少ない生活が続くとフレイルのリスクが高まってしまいます。
各市区町村には、高齢者の介護・福祉・医療などの総合相談機関「地域包括支援センター」があり、介護の必要がない人に向けても、フレイル予防の教室を行っていたり、趣味の集まりやボランティアの紹介など様々な“きっかけ”づくりをしています。地域のこうした資源を上手に使い、積極的に外に出かけて人とのつながりをつくりましょう。